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松戸市の歴史

最終更新日:2018/08/27
松戸市の歴史

松戸市内の歴史から各地名の由来、文化財などをご紹介し、松戸のルーツをたどります。


松戸市の歴史

松戸市域には、旧石器時代から人間が居住していたそうです。
平安時代に書かれた『更級日記』には、「松戸は、太日川(現:江戸川)の船渡場の集落として生まれたようである」といった内容が記されています。
江戸時代には、松戸・小金・馬橋は、水戸街道の宿場町となっていました。水戸と江戸の間にあるため、徳川将軍家及び水戸徳川家との繋がりもありました。

松戸市の明治以降の歴史年表

明治5年(1872) 松戸郵便取扱所、小金郵便取扱所開設
明治11年(1878) 東葛飾郡役所を松戸駅(町)に設置
明治22年(1889) 町村制施行により、松戸町・明村・八柱村・高木村・馬橋村・小金町が誕生
明治29年(1896) 日本鉄道株式会社海岸線(常磐線)田端~土浦間開通、松戸駅開設
明治31年(1898) 海岸線(常磐線)全線開通。馬橋駅開通
明治38年(1905) 松戸競馬場が相模台に開設
大正5年(1916) 流山軽便鉄道(現:流鉄)開通
大正12年(1923) 北総鉄道(現:野田線)船橋~野田間開通、六実駅開設

【TOPICS】松戸競馬場は、中山競馬場の前身だった!

松戸競輪場
松戸競輪場(昭和33年頃)
1907年(明治40年) 東葛飾郡松戸町(現:松戸市相模台)に松戸競馬場(松戸競馬倶楽部)開場
1919年(大正8年) 日本陸軍に接収されて陸軍工兵学校敷地に。
東葛飾郡中山村若宮(現:市川市若宮)の行徳海岸を競馬場へと整備
1920年(大正9年) 松戸競馬倶楽部を中山競馬倶楽部と名称を改め、中山競馬場が開場
1923年(大正12年) 関東大震災の大津波で、競馬場が壊滅
1927年(昭和2年) 東葛飾郡葛飾村古作(現:船橋市古作)に移設。
新中山競馬場として開場、現在に至る。

【TOPICS】松戸市内には軍事施設がいっぱいあった!

相模台
陸軍工兵学校
胡録台
陸軍工兵学校作業場
稔台
陸軍八柱演習場
松飛台
松戸飛行場(帝都防空用陸軍御囲飛行場)

昭和以降の松戸の主な歴史

松戸駅
松戸駅(昭和28年頃)
昭和2年(1927) 松戸~市川間バス路線開通。次いで、金町線・流山線も開通
昭和8年(1933) 松戸町と明町が合併(人口:15,669人)
昭和13年(1938) 松戸町と八柱町が合併(人口:21,506人)
昭和18年(1943) 松戸町、高木町、馬橋町が合併し、松戸市が誕生(人口:40,433人)
昭和25年(1950) 萬満寺の金剛力士像が国の重要文化財に指定される
昭和30年(1955) 新京成電鉄松戸~津田沼間が開通
昭和34年(1959) 市役所が現在の伊勢丹付近から根本に移転

新松戸駅
上空からの新松戸駅(昭和43年頃)
昭和46年(1971) 松戸駅新駅完成
昭和48年(1973) 武蔵野線(新松戸~府中本町)開通。新松戸駅開設
昭和49年(1974) 伊勢丹松戸店開店
昭和55年(1980) 太陽ハウス株式会社設立
昭和62年(1987) 常盤平さくら通りが「日本の道百選」に
平成5年(1993) 21世紀の森と広場・森のホール21がオープン
平成21年(2009) 「新松戸未来館」開所
平成30年(2018) 3月21日(水)伊勢丹松戸店閉店
松戸駅西口(昭和48年)
松戸駅西口(昭和48年)

地名の由来

松戸
【説A】
松戸一帯は、馬の飼育が盛んでした。 そこで、「馬の里」から「馬里( うまさと)から「まさと」になり、変化して「まつど」になった。
【説B】
松戸神社の伝承では、ヤマトタケルが従者とこの地で待ち合わせたところに祠(ほこら)を祀ったという故事から、「待つ里」「まつど」「松戸」と称された。
【説C】
渡し舟を「待つ里」から「まつど」に転じた
馬橋
長津川にかかる水戸街道の橋は、大雨のたびに流されるため、萬満寺開山の良寛上人(りょうかんしょうにん)が馬の鞍(くら)をした橋を架けさせたところ、それ以来、橋が流れなくなったことから、「馬橋」と呼ぶようになった。
八ヶ崎
遠望すると八つの岬があるように見えたことから、八ヶ崎になったと伝えられています。
大谷口
高城氏の小金城のあった地で、城郭の南面に大きな谷頭が口を開いていたことから、大谷口になったと言われています
常盤平
市民公募により、新京成電鉄に勤務する青木正次郎さんの応募された常盤平に決定しました。
これにより、鉄道駅も金ヶ作駅から常盤平駅に改められました。
新松戸
本来の地名は、「幸谷」ですが、国鉄駅開設の際に、名称を北馬橋にするか南小金にするかで揉め、住人の妥協案で新松戸に決定したそうです。
小金原
小金原や小金は、平安時代から江戸時代の終わりまで続いた野生馬の放牧地にちなんだものと言われています。
小金原の歴史
小林一茶が読んだ『しぐるるやたばこ法度の小金原』の句から、小金原が規制の多い場所ということが分かります。
しかし、殺生も禁じていたことから、馬や鹿、猪などが増えてしまい、作物を多く荒らしたとされています。
その後、お鹿(しし)狩りが流行し1849年には、鹿や猪はほとんどいなくなりました。

松戸市内の文化財

松戸市内にはいくつもの文化財があります。

国指定文化財
7ヶ所
千葉県指定文化財
5ヶ所
松戸市指定文化財
42ヶ所

国指定文化財

木造金剛力士立像
萬満寺
大学三郎御書
本土寺
諸人御返事
本土寺
梵鐘「建治四年在銘」
本土寺
千葉県幸田貝塚出土品
松戸市立博物館
旧徳川家松戸戸定邸
戸定邸
旧徳川昭武庭園
戸定邸

戸定邸について

戸定邸
戸定邸

戸定邸は、松戸市松戸にある国指定文化財である江戸時代の建物です。

住所
松戸市松戸714-1(松戸駅東口徒歩10分)
開館時間
9:30~17:00(入館は16:30まで)
休館日
月曜日
入館料
一般:150円 / 高校生・大学生:100円

明治時代の徳川家の住まいがほぼ完全に残る唯一の建物です。 純和風の木造平屋一部二階建てです。 建設したのは、第15代将軍・徳川慶喜の弟にあたる徳川昭武です。増築を経て、9棟が廊下で結ばれ、部屋数は23あります。

平成18年7月5日に国の重要文化財に指定されました。





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